方丈記の世界

日本の古典『方丈記』を学ぶ会。

日本の古典『方丈記』とは?

『方丈記』(ほうじょうき)は、鴨長明(かものちょうめい、かものながあきら)によって書かれた中世文学の代表的な随筆。

方丈記の名前の由来としては、
鴨長明が晩年、日野山に方丈(一丈四方)の庵を結んだことから「方丈記」と名づけたことによります。

書かれた年代としては、鎌倉時代、1212年(建暦2年)に記されたとされていますが、原本は残っていないようです。
現存する最古の写本は大福光寺本であり、しばしば研究の底本とされています。

『方丈記』は、和漢混淆文(漢字と片仮名、もしくは漢字と平仮名の混ざった文章)で書かれたものとしては、最初の優れた文芸作品であるといえましょう。

また、戦乱が続く世の中をいかに生きるかという鴨長明の自伝的な人生論でもあり、そこから今日の私たちが学ぶべきことは数多くあると言えます。

隠棲文学の祖ともされます。(慶滋保胤の『池亭記』を祖とする説もあり)

方丈記の特徴は、無常観。すなわち始めの文章で一切のものが移ろいゆく儚さを謡ったあとに
鴨長明存命中の災害や、あるいはそれ以前に起きた災厄などについて書かれ
後半には鴨長明自身の草案での生活の様子が細かに書かれています。さらにはその生活に執着することすらも、開悟に対するさまたげになるとして、そこから離れんとつとめる苦悩の様があらわれています。

また、その見事な筆致から
清少納言の『枕草子』
この後およそ100年後に書かれた吉田兼好の『徒然草』と並んで
日本三大随筆と称されます。

方丈記冒頭の文章を味わう

方丈記の文章を味わって見ましょう。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、
たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、
これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。

或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、
あるは大家ほろびて小家となる。

住む人もこれにおなじ。

所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。

あしたに死し、ゆふべに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。

知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。

又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。

そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはば朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。

のこるといへども朝日に枯れぬ。

或は花はしぼみて、露なほ消えず。

消えずといへども、ゆふべを待つことなし。


一切のものは移ろいゆく、変わりゆく。

有為転変。世の中に変化せぬものなど無い。

遅いか早いかの違いだけで、常に変わりゆくのが世の中です。

世の中を見渡せば高層ビルが並んでおり、さも強固そうですが
古(いにしへ)より残っている建物がどれだけあるでしょうか。

医学の進歩で寿命が延びたといっても、200年も生きる人はありません。

人(あるじ)と建物(すみか)と無常を争っているさまは、露のようなはかなさであると鴨長明は言うのです。

そしていずかたより来て、行く先も知らず、いずかたへと去っていく。
人間存在の儚さをうたった名文といえましょう。

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